砂崎知子師 パーティ
ゲンザン言いたい放題! Vol.3
私は23年前から暗譜で地歌を吹く会“むしぼしの会”(同人・菊原光治師、野田弥生師)を行っている。この三人で今までに160回程の勉強会を行い、71曲を18枚のCDに収録している。今でもこのCDはコンスタントに売れている。
箏や三弦の人は暗譜されている方が多いが、尺八は楽譜を譜面台に置いて演奏するのが美学とされているむきがある。(文楽の太夫のように、覚えていても見台を置くのがスタイル(型)とされるものもある)
尺八なのに「よく覚えられますね」と言われることが多い。これには二つの感謝がある。一つは前記の“むしぼしの会”という目的を同じくする友がいたこと。二つ目は多くの弟子がいてくれたことである。都山流の師範試験は大変難しく、必死で教える必要がある。師匠は唱譜と言って楽譜を歌ってリズムをとり、弟子は吹くのである。受験曲は一年前に発表されて大曲ばかりである。多くの弟子に教える中、何十年も同じことをしていると自然にボヤーと覚えるものであり、大曲ほど良く覚えている。今では“弟子のおかげ”と感謝している。
なぜ暗譜が良いか
①上手に見てもらえる。
「尺八を習ってるんやったら今度、結婚式の時に何か吹いてんか!」このようなオーダーがあったとする。「では!」と言って、譜面台を取り出し、楽譜を置いてプー。10秒もすれば「早く終わらないかなぁ」となる。しかし、場内を暗くしてスポットを当ててもらい、暗譜でプーと吹くと、「尺八っていいなぁ。うまいなぁ」となり、30秒くらいまでは静かに聴いてもらえる。その後は知らん!!
②楽譜を吹くことと、音楽を作ることの差
特に三曲合奏の場合、楽譜を見て吹いていると、尺八のパートばかり一生懸命吹いて歌や箏、三弦の音を聴いていないことが多い。逆に暗譜の場合は、それらの音を聴かないと尺八は吹けないのである。従って、尺八以外の音を知り、三人で一つの曲を作り上げる為、より良い音作りができるのである。
道を歩いている時、正眼の人はキョロキョロして「いい子がいるなぁ」と思って視覚中心になるのに対して、盲人さんは耳で音を気にしているので、聴覚が中心になる。この差は大きい。
⑤ハ ヒハ ロ。という旋律が大曲だと20~30ヶ所出てくる。皆はなんとなく吹いているが、暗譜している人にとっては皆違うのである。同じだと曲が進まないし、又、戻ることや先に飛ぶことがあり、ひどくなると平気で別の曲を吹いている。速度、音色、強弱、香り、流れ等々が異なり、その場所でのハ ヒハ ロと言う言葉になるのである。
④遊び人には暗譜を薦める
楽譜を見たら吹ける人は練習をしない。しかし暗譜でとなると嫌でも吹くしかない。(自分のことである)
⑤老眼の人には勧める
舞台の上は基本的にメガネは掛けない。歌舞伎や相撲ではメガネの人はいない。私は今、老眼鏡が必要だが、あまり掛けたくない。このようにこだわる人は覚えるしかない。
芫山のひとりごと-過去・現在・未来- Vol.5
30年程前に中村正之君という門人がいた。彼から突然手紙が来て、又、尺八を吹きたいので教えて欲しいとのこと。彼には目的があった。もうすぐ定年で第二の人生をフィリピンで過ごし、森の中に幼稚園を作るというもの。そこで、日本人として日本の楽器を吹きたいと思ったのだそうだ。素晴らしい夢とロマンを実現する為に尺八が使われることは嬉しいことではないか。何年か後、その地に行って私も尺八を吹きたいものだ。
今テレビでは、若い中学生くらいのユニットが歌を歌い、ダンスをして盛り上がっている。AKB48とか…。テレビの企画で今度、あるグループに私が尺八を教える企画が持ち上がっている。また詳細が決まれば発表する。彼女たちがどこまで吹けるか、乞うご期待!!